5年目の3月11日に

 

どうもみなさんこんにちは。今日3月11日は5年前、2011年東日本大震災が起きたその日です。
今日は、東日本大震災5周年追悼式、国立劇場で開かれたんですが、そこに出席してきました。
亡くなられた犠牲者のみなさんに心から哀悼の意を表し、そしていまだに本当に苦しんでいらっしゃるみなさんに心からお見舞いを申し上げます。
きちっとそのことを解決するそんな政治を国会の中でしっかりとやっていきます。

 

原発のことについて話をします。
3月11日ちょうどニュージーランド地震の募金集めを銀座でしている最中にあの地震を経験をしました。
そして官邸に当時党首だったので集められて、そして話を聞きホットラインをもらいました。
そして、夕方のラジオで6時だったでしょうか、NHKのラジオだったと思います、非常用電気ディーゼルがダメになってしまって、電源を運んでいるというニュースを聞きました。
何とか電源が間に合ってくれ、祈るように思いました。
非常用電気ディーゼルが壊れてしまう、奪われるというのは、裁判の中でたくさん争われてきたことです。
それが起こればステーション・ブラックアウト、燃料棒の溶融が起こるというすさまじいことが起きるわけです。
そして結局これが間に合わなかった、電源が間に合わなかったことを知って、朝、とにかく電話をしました。
ここに電話をしてほしいと官邸から言われ電話した先は保安院でした。
ペーパーを送ってもらったんですがFAXを。
保安院は2011年3月11日の夕方の時点で、3月11日夜10時半だったと思いますが、燃料棒が溶融する可能性があることをすでに予言をしております。
そこで保安院に、3月12日の朝に聞きました。
「燃料棒が溶融している可能性もありますね?」
「あります」というのが答えでした。
まさに大変な事態になっていたわけです。
そこから先は、とにかく原発事故その収拾をどう図るかということや避難のことにものすごくエネルギーを注いでやった毎日でした。
東日本大震災、確かに地震は天災です。
しかし、天災にどう備えるかという問題、避難はどうだったのかという問題、そして原発震災はこれは人災です。
東京電力は3年以上もの間、15.7メートル以上の津波が来るということを知っておりました。
いったんはすでに対応しようとなって、その方向転換が起きたというのが検察審査会の議決にあることです。
とんでもありません。
そして3月11日の数日前に保安院にもそのことを報告しています。
3月14日当時清水社長は「想定外の津波だった」と答えました。
これが真っ赤なウソです。
15.7メートル、まさに15メートルの津波が起きたわけです。
東電はそのことが起きることを計算して知っていて、執行部にそのことが報告をされ、そしてそのことをやらなかった、握りつぶしたという、まさに過失があると私は思います。
そして保安院もそのこを知っていたわけです。
保安院は真っ先に想定外ではなかったという発表をすべきではなかったのでしょうか。
その意味では、東電と、ほんとに同罪ではないかと私は思っております。

 

このような東日本大震災そして原発震災、苦しんでいる人がたくさんいます。
避難している人がたくさんおります。
福島県は来年の3月に、住宅の打ち切りを決定をいたしました。
これは大問題だというふうに考えています。
避難している人たち、みなし仮設住宅のこの打ち切りを決定しました。
大問題です。
原発事故に、被災者のみなさんは責任はありません。
まさに国策として自民党政権が続けてきた原発政策で原発震災が起きました。
この事故を踏まえて私たちは二度と原発事故を起こさない、そして脱原発しかありません。
3月11日脱原発を必ず実現する、そのことをご訴えをしたいと思います。
これからも多くのみなさんとがんばっていきます。

 

あわせて社民党の「東日本大震災および東京電力福島第一原発事故から5年を迎えて(声明)」もご一読ください。

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